old reliable tea

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ストレートティーについて考えるブログ

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かつてイギリスで偽装された3つの食品

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紅茶関連のことを調べようとイギリスの歴史系の本をあさっていたんですが、なかなか残念な食糧事情と共に「食品偽装」は昔からあったようです。

 

1.スムーチ

まずはこれですが、偽装茶のことです。

 

作り方は

木(トネリコ)の葉を集め、硫酸鉄(緑色にするための顔料)と羊の糞を加えて釜で煮る。

その液体から引き上げて葉を焼き、使用にふさわしい大きさになるまで踏みつぶす。

偽茶リストには出涸らしの茶葉や茶とはまったく縁のない植物の名もあった。

さらに重量を増やすために石膏、粘土、鉄繊維、砂、そして見栄えをよくするためのプルシアンブルー、ターメリック、石鹼石(サポナイト)、黒鉛を加えた。

 

だそうです。

 

かさ増しにおがくずも好まれたそうなんですが、さすがにバレたのか

 

「国王陛下の臣民の不利益、歳入の減少、正規の商人の損害、怠惰の助長」に加え、「大量の立木、森、下生えの損傷と破壊」

 

という声明が発表され、厳罰化することに。

 

そりゃそうでしょうな。

 

ところで、なぜ偽装茶が作られたかといいますと、やはり茶の人気がものすごかったからというのが理由だそうです。

 

「茶を飲める=中流(ふつう)以上であることの証明」であったために茶に憧れた労働階級者と、小遣いを稼ぎたい上流階級の家で働く使用人(主人たちが飲み終わった茶殻を捨てずに、偽茶業者に売っていたらしい)の両者の願いを満たすものが「スムーチ」だったようです。

 

当時主流だった緑茶の水色や茶葉の色を偽造するのは容易だったそうで、それでも庶民は買って飲んでいたそうですが、偽茶を見分ける自信がなかった人たちは色を偽造しにくかった紅茶(ボヒー茶と呼ばれていたそう)を選ぶようになったとのこと。

 

何だかんだ19世紀半ばまで作られ続けていたそうで、庶民は「薄くいれて砂糖で濃厚にする」というスタイルだったため、葉っぱとか石膏が出す刺激(つまり苦渋み)があれば気付かなかったのでは…?という話もあります。

 

アーサー・ヒル・ハッサル著「食品とその偽混」という書籍では、「重量と嵩を増やす」「色合いを加え、ほかの混合物を隠す」「匂い、風味、刺激その他の特質を与える」などの項目があり、偽茶のメカニズムから見抜き方までがこと細かに記されているそうです。

 

そんな偽装が原因で緑茶は1855年には全茶輸入量の7分の1まで低下しており、ほぼブレンド用(紅茶4:緑茶1で使うらしい)になったとあります。

 

余談ですが、英国で紅茶が大いに盛り上がった理由の1つは、産業革命のせいで簡便さが求められるようになったからだそうです。

産業革命が1760年で、異物混入で緑茶の地位が落ちたのが1740年あたり)

 

それまでは出来高制で、聖月曜日という「稼ぎで飲んだくれた職人が月曜に仕事を休んでも大目にみる」という文化があったそうなんですが、産業革命のせいでそういった労働はご法度に。

 

時間給制になり、朝から晩まで働がなければならなくなり、このあたりに「ときはカネなり」という言葉が生まれたのではないか?とする書籍もありました。

 

弱い人々の心に寄り添う側のはずの宗教人や思想家なんかも「ときはカネなり」と言うようになったそうで、労働階級よりも使う側の味方をした方が得な世の中だったんでしょうね。

 

で、「朝から晩まで働いても低賃金」「労働者用の住居に台所はない」「調理する時間も満足にとれない」という状況に合致したのが「砂糖入りの紅茶」でした。

 

少量で膨大なカロリーを取れる砂糖、気分をよくしてくれるカフェインの入った紅茶が、家庭での食事、工場での短休憩で重宝されたそうです。

 

それに加えて、お湯さえ沸いていれば食事の準備が済む+紅茶があるだけで食事が温かくなる(ホット・ディッシュといい、温かい食事は贅沢とされていた)のが重なり、どの家でも紅茶を飲むのが普通になったそうです。

 

参考までに、1795〜1843年までに「117家族が1週間に一度も食べなかった食品」をリスト化したものがあるんですが、

 

  • バター・茶:10家族 
  • 砂糖・ポテト:14家族
  • 小麦粉:16家族
  • ミルク:33家族

〜(肉やオーツ麦など)

  • 大麦:94家族
  • 魚:111家族

 

だったそうです。

 

ちなみにその家族たちの週間平均摂取量は茶が0.3オンス(約7g)、砂糖が2.9オンス(約64g)バターが3オンス(84g)とのこと。

 

食べるものが不足していても、茶と砂糖だけは欠かさない家庭が多かったようですね。

 

2.パン

パンの偽装は古くからあったそうで、カンタベリーの小川にある、「片方の端が突き出たシーソー状の器具)がその不正を暴くのに使われた(記録はないそうですが)そうです。

 

パンは重さや質の苦情が多かったため、突き出てた側にパン屋を座らせ、もう片方にパン屋のいう重量を置き、足りなければパン屋は川に落ちる(不正が暴かれる)…というシステムです。

 

で、当時どれだけパンの偽装が行われていたかというと、炭酸マグネシウムアンモニア、茹でたじゃがいもがパンの混ぜ物として使われていたそうです。

 

「茹でたじゃがいもはマシじゃない?」と思うかもしれませんが、当時はじゃがいもは貧者の象徴と言われていて、「どんなに窮貧でも他に食べ物があれば避ける」とさえ言われていたそう。

 

しかも「賃金の一部をじゃがいもで払う」というのが貧者と搾取する側の構図の象徴だったのもあり、味がどうのというよりも、じゃがいもを食べること自体が嫌だったみたいです。

 

さらに

小麦粉として売られているものを調べた結果、チョーク、じゃがいもの粉、パイプ・クレイ(粘土)を発見した

そうで、粉を買って作った自家製だからとはいえ油断ならなかった模様。

 

というか、こんなんでパンになるんでしょうか?(笑)

 

その後生協ができたことによって基準が整備され、リーズナブルで質が保証されるパンが食べられるようになったそうです。

 

3.イギリス料理

よく「イギリス料理はまずい」なんて話がありますが、その理由が分かりました。

 

簡単に言えば「みんな上流を気取りたかったから」だそう。

 

お馴染みのジェントルマンという言葉がありますが、これは階層のことを言うそうで、語源はジェントリという人々だそうです。

 

ジェントリ(gentry)は、イギリスにおける下級地主層の総称。 郷紳(きょうしん)と訳される。 貴族階級である男爵の下に位置し、正式には貴族に含まれないものの、貴族とともに上流階級を構成する。

 

書籍の中では、

巨大な財産、とくに土地を所有し、その地代で上流の生活を維持し、働かないで政治や文化活動やスポーツ、チャリティを行う人々

 

とされていて、身分こそ違うが生活様式はほぼ同じで、「貴族+ジェントリでジェントルマン」となったようです。

 

ジェントルマンの中では貴族は200〜300家族しかおらず残り数万はジェントリであり、支配階級のほとんどが平民で構成されている点がフランスやスペインとは違ったとあります。

 

そうなんですね。

 

で、厄介なのが中流層(数が多く、国への影響が大きい)で、ジェントルマンの動向に人一倍敏感でした。

 

簡単に言えば、「上流を気取れるならばまずくても食べる義務がある」し、「下層民を匂わせるものはおいしくても、楽しくても避けるべき」といったことをしていたそう。

 

たとえば「「タートル・スープ」のような上流の食べ物を、めったに入手できない本物でなくとも、せめて偽物のそれを食する義務があるようだった」と。

 

フィッシュアンドチップスも最初は労働者が仕事終わりに買うものであって、中流層は行かなかったそうです。

 

「ウチはウチ、ヨソはヨソ」というのはなかったんですね。

 

そして「ジェントルマン子弟教育」なるものが出てくると

  • 料理にとって大事なのは見かけやマナー
  • しゃべらず、ゆっくり食べるのが上品で、食事の内容に興味をもつのはジェントルマンではない(蚊の飛ぶ音さえ聞こえる、とありました)
  • 子供に美食を覚えさせるのは罪で、粗食で育てるのだ
  • 子供にデザートやケーキを与えるのは、遅効性の毒を盛っているようなものだ

 

などというのを「上流のたしなみ」として中流の人々は真似していたそうです。

 

自分より立場が上の人を真似るというのは、時代や人種が違っても一緒っすね…。

 

それだけでなく、

  • 産業革命や都市化により、イギリスの伝統的農村生活は失われた
  • フランスへの抵抗感がうすれ、上流層はフランス人のコックを雇うようになった
  • が、また富裕な中流層が上流の真似をしてコックを雇うようになったため優秀なコックを得られなくなり、料理にさして知識のない人ばかりになった
  • サーヴァント(住み込みの若者)が料理をする家庭が増えた

 

せいで、イギリスの伝統食は失われたそうです。

 

結果、昔ながらのイギリス料理はなくなり、見た目だけは上流やそれに近い、まずい料理ばかりができたのだ…と。

 

なるほど。

 

自分が何が好きかとか何を楽しみたいかではなく、どう見られるか、どういう人たちと同化しているかかを重視するのは現代にも通ずるものがありますね。

 

「教訓」とも言えましょう。

 

しかし、こんなとんでもない偽装に揺さぶられながらも紅茶が存続できたのは、やはり言葉では説明できない何かがあったんでしょうか。