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ストレートティーについて考えるブログ

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完璧主義は想像以上に苦しい病かも

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突然ですが、みなさんは完璧主義ですか?

 

完璧主義というと、「気にしすぎが原因」とか「ほどほどでOK」みたいな話が出てきますが、実はそんなに単純な話ではありません。

 

というのも完璧主義には2種類あって「自他共に厳しい基準を求めるもの」と「完璧でないと一歩を踏み出せないもの」があります。

 

両方とも完璧主義ですが、前者は「完璧を追い求める者」で後者は「真の完璧主義者」という感じですかね。

 

みなさん知ってました?完璧主義って2つあるんですよ。

 

前者はそこまで問題がないそうですが、後者は自殺に結びついたり、そもそも何も行動に移せなかったりする上に、行動を起こすこと自体が恐ろしいので、完璧になることはほぼないそうです。

 

ふつうの人は店に入る時にドアを開けて玄関に入って…となりますが、完璧主義者は「ドアの開け方を間違えたら恥ずかしいな」「ちゃんとドアが開かなかったらどうしよう」といつまでも店に入ることができません。

 

よくエラい人が言う「100%ではなく、ほどほどでGOを出す」という以前の問題で、絶対に失敗しないと分からなければ1%に進むことすらできないんですよ。

 

そして、なぜ自分はこんなにダメなんだと自己嫌悪に陥ってしまいます。

 

自己嫌悪も「誰にでもあることです」みたいな扱いですが、人間はもともと「自分は平均よりも上だろう」みたいな思い込みがあるにも関わらず自分を肯定してあげられないわけですから、もっと真剣に取り組むべきテーマだと思うんですよ。

 

ということで、私も非常に苦しんだ完璧主義の解決のヒントになるようなお話を考察を兼ねてしていきたいと思います。

 

みなさんの完璧主義が治らないのは、世間の認識が違うからだったんです。

 

最初はおもしろくない

完璧主義の原因はいろいろあるんですが、大きいものとして「条件的な愛」というものがあり、簡単に言えば「うまくいかないと褒めない」という行動です。

 

「結果が全て」とも言い換えられますね。

 

「褒められることだけが尊く、頑張っても結果が出なかったら意味がないんだ」というのは分からなくもないんですが、完璧主義は「褒められるために頑張ろう」ではなくて「自分には褒められる能力なんてないから、何もできない」というふうになってしまうそうです。

 

まあ当然といえば当然なんですが、「褒められることは偉いけど、みんな最初は何の能力もないから、RPGと同じく、楽しくなってくるのはある程度装備が整った中盤からだぞ」とは教えてくれません。

 

当然何の能力もない状態では結果の出しようがないわけですから、何もできなくなってしまうということですね。

 

ちなみに私はこの「結果が全て」という考えが嫌いです。

 

皆さんの周りで「結果が全てだ」と言う人がどんな人かといえば、おそらくふつうの人じゃないですか?

 

マッチョなのにめちゃくちゃ本を読む人とか、毎月新しい趣味に取り組んでいる人みたいな、すごい人ですか?

 

違いませんか?

 

つまり、結果が全てという人の多くは、ごくふつうの人生を歩んでいるのに、「自分は平均よりは、周りよりはいい人生だ=結果が出てる」と勘違いしているだけなんじゃないかと思うんですよ。

 

我々がスキルを身に付けたとか勉強したといっても、上と比べたら結果が出ていないに等しいことも多いじゃないですか。

 

成功しても、陰で誰かがお膳立てをしてくれていたからかも知れませんし、たまたまかもしれません。

 

努力の途中でプチプチと出た小さい結果を積み重ねることが大事ですが、そう考えると失敗も結果と言えます。

 

ならば「結果の中でも、成功したかどうかが全て」と言い換えられるかもしれませんが、「いやお前ら成功してんのか?!」となるわけですよ。

 

やはり「自分は周りよりは上だから」と勘違いしてるんじゃないかと。

 

ということで、完璧主義でツラいという人は、他人にアドバイスを求めるのではなく、いろいろ試してみることが大事です。

 

そしてその際、結果ではなく行動に注目するのがよいそうです。

 

「そもそも決意をしたことがエラいじゃないか!」とか「よくぞ思いついた」みたいな感じで、うまくいったかどうかは考えないのがよいということですね。

 

「自分にそんなに優しくできないよ」という人は、自分の友人が悩みを相談してくれた場合にどんな言葉をかけるか?を想定するのがよいそうです。

 

友人には結構簡単に「あきらめんなよ」とか言えますもんね。

 

失敗の解釈を変える

人には優しくできる一方で自分に異様に厳しいのも完璧主義の特徴のようですが、自分に優しい言葉をかけてあげることをセルフコンパッションというそうです。

 

セルフコンパッションについてはいろいろな人が解説してくれているので、ここでは完璧主義がいかにヤバいかをお伝えしたかったのです。

 

完璧主義に悩んでいる方は、決してポジティブな考えができないわけでも能力がないわけでもないんですよ(誰だって最初は何もできないですからね)。

 

考え方を変えてみましょう。

 

ちなみに考え方を変えるのは何というか、「失敗とか損失を無理やりポジティブに解釈する行為で、敗北者のすることだ」みたいな感じがあるかもしれません。

 

私はこの「失敗をどう解釈するか?」で一番悩みました。

 

みなさんはどうですか?

 

「失敗はいくらポジティブに解釈しようが結局は失敗であり、自分が無能であることの何よりの証拠だ」と考えてしまいませんか?

 

でも、失敗するのって自分のせいである割合ってどのくらいなんでしょうか?

 

自分にも多少責任はあるかもしれませんが、それ以外の割合も考えると、自分が何とか努力すればそれが回避できた…というのは出過ぎた真似というものではないでしょうか?

 

とある作品で

 

「君が前線にいれば戦況は変わったと?その発言は亡くなった彼を愚弄することになると分かって言っているのか?」

 

というセリフがありましたが、まさにそれですよ。

 

過去の偉人や成功者、イエス・キリストでさえ経験した失敗を、自分の努力だけで変えられると思うのは、彼らよりも自分の能力が高いと思っているのではあるまいな、と…

 

私も図書館に初めて行った際に勝手が分からずオロオロしてちょっと怪しい人間になってしまいましたが、それって努力ではどうにもならないじゃないですか。

 

そのお店のルールや本の検索の仕方は聞くか入ってみるかしないと分からないですよね。

 

で、それを知らなかったとしても、みなさんの能力が低いことにはならないじゃないですか。

 

「この人初めてなんだなー」とか「慣れてないんだなー」はOKですけど、「頭悪いな」とか「どうせ大した人間じゃないんだろう」は偏見ですからね。

 

まとめ

  • 完璧主義は2種類あって、「スタートしてから完璧を目指す人」と「完璧に整えないとスタートできない人」の2種
  • うまくいった時だけ褒めるという「条件的な愛」は逆効果。褒められるように頑張ろうと思える人は超少ない
  • 自分に優しい言葉をかけよう。その際は、友人に相談された時と同じような気持ちで
  • 失敗は時代を変えた人間ですら経験してきたことである。そして努力ではどうすることもできない失敗もあると覚えておこう

 

ということでした。

 

失敗を無くしたいと思うかもしれませんが、主原因はよく分からないことが多く(=防ぐのが難しい)、何ならたまたまうまくいくこともあります。

 

俗にいう

「とにかく行動を増やせ」

iPhoneですら60%で発表し、そこからアップデートしている。だから60%でGO」

「しかし間違った方法ならいくら努力しても無駄。正しい努力をすべき」

といったことを信じていろいろやってみた結果、私にはどれも合いませんでした。

 

「行動を増やそう→しかし間違った努力は無意味だ→ならば正しい努力の方法を探そう→探すために本を読んだりメルマガを購読して、行動をしよう→その行動自体が間違った努力ならどうする?→でも、とりあえず何かしないと→行動を増やそう→しかし間違った努力は…以下同文

 

となると、何もできなくなりませんか?

 

というか、私は何もできなくなりました。

 

「闇雲にやっても意味がない」というのは、フライパンが何かも分かっていないのに俺は料理人になるんや!みたいな奴に言うのはいいですが、挑戦している人に言うワードではないと思います。

 

ちなみに「やる前から、それが正しい努力か見極める方法があるよ!」というなら、それは「デメリット一切なしで寝てるだけでハリウッド並みのマッチョになれる薬だよ!しかも1ヶ月500円!」くらいデタラメだと私は思います。

 

「とにかく行動しろ」「闇雲にやっても意味がない」は一見正しそうに見えますけど、完璧主義者の可能性を摘み取る言葉なので注意しましょう。