新茶、新茶と大騒ぎしているのは日本人だけではないか説
いろいろな茶の本に、「日本特有の新茶をありがたがる文化はよろしくないぞ!」という話が共通しておりましたのでご紹介を。
旬であることには旬だが…
緑茶に関しての知識は基本書籍から得ることがほとんどですが、昔から日本人は新茶を非常に尊んでいたようです。
(現在もそうなんですかね)
実際、広告や茶屋のセールなんかを見ても新茶にポジティブな話が多いですよね。
が、「茶の新芽というのは新芽特有の香りはあるものの、本来茶のもつ香気や深さはない」との話がいろいろな本で共通しているのであります。
そして、それが「高級品だ」とか「1年の中で最もおいしい茶」だと思われているのはまことによろしくないとのことでした。
つまり、「最も味成分の薄い時期に採った茶だから、それがうまいはずがないだろう」という話ですね。
日本茶は一芯二葉という摘み方をしているそうですがまだ成熟しきらぬ段階だそうで、お茶としてのうまさを求めるならば最低三葉か四葉くらいにする必要があるそうです。
この若い芽を「みる芽」というそうなんですが中国茶ではみる芽摘みはタブーだそうで、成熟した香味を得るためにはある程度置くべき、という話もあり、読んだだけだと新茶にはうまみ成分はかなり少ない様子。
日本では植物の若い芽や小魚を食べたりしますが、そこから来たものなのか、何かがあったのかは分からんのですが、とりあえず新茶=1年で最もうまい茶(と、みなさんが思っているかは分かりませんが)ではないそうです。
あくまで旬の、特定の時期にしか味わえない茶という認識が正しいようです。
なぜ新茶がここまで尊ばれるのか?
私は専門家ではないので上記の話の是非には言及できないんですが、どうして日本茶はこんなふうなのか?という考察を
- 1.新茶アミノ酸最多説
- 2.実は新茶くらいの薄さがちょうどいい説
- 3.新茶は高級品説
の3つ。
新茶アミノ酸最多説
これは最もよく目にする話で、日照時間と反比例してテアニンを始めとしたアミノ酸が多くなるため、新芽は日に晒されている時間が最も少ない=アミノ酸が最も多いというお話ですね。
確かにトータルの量で言えば新芽にテアニンが一番多いのは正しいっぽいです。
タンニンの代謝にはテアニンが使われるため、アミノ酸が多く渋みは少なくなるとのこと。
が、お茶のおいしさやうまみはアミノ酸だけではない上に、アミノ酸が多いと甘さやうまさは濃くなるそうなんですが、お茶っぽい香りが少なくなるそうです。
例えるならなんでしょう。
スーパーのトマトと家庭菜園で作ったトマトは、早めに採った前者の方(お茶でいうなら新茶)が食べやすいですが、後者のちょっと畑に放置気味のトマトの方(番茶や秋摘み)が香りは濃い…みたいな感じかもしれません。
また「アミノ酸が多い」という事実だけを見れば新茶が一番おいしい!というのは分からないでもないですが、「アミノ酸が多い=純粋にお茶としてのうまさが増強されているわけではない」そうです。
なんでも、アミノ酸は肥料によって足される味であり、本来茶のもつうまみは肥料を足すことによって表れる味ではないとのこと。
つまり、アミノ酸にもたくさん種類があり、茶にもともと含まれるアミノ酸は肥料ではほとんど増えないそうなんですよ。
この肥料うんぬんの話は、甘みがほしいからとトマトに砂糖をかけて食べているようなもの、というと分かりやすいかもしれません。
たしかに砂糖(茶でいえば肥料によるアミノ酸)を足すと甘くはなりますが、トマトのもつ甘さが強くなるのとは違うので、それをトマトがうまいと言っていいものかどうか…という感じでしょうか。
前述の通りテアニンも溜められたものを消費しないから多いのであって、新芽だけテアニンが本来の倍の量に増えているというわけでもないようです。
ちなみに紅茶はアミノ酸がめちゃ少ないので、私がよく言う「紅茶の甘さ」とはまた別ということになりますかね。
実は新茶くらいの薄さがちょうどいい説
次は、お客さん視点の話になりますが、やぶきたの濃厚さはお茶関連の書籍の著者から「標準茶でない/色や味が強すぎる狂ったお茶」とまで書かれています。
1995年版の本ですが、20年以上前から日本茶業界を憂いていたのですね。
まあ、これは著者個人の意見ではありますが、同じように感じていたお客さんが少なくないとすれば、やぶきたは濃すぎ、新茶くらいの爽やかさや薄さがちょうどいいと感じられたのかもしれません。
つまり、そこで「どうやら新茶が一番飲みやすい」とお客さんが気付き、新茶が売れたのでお店もアピールしだした?かも、と。
日本人の茶の消費の少なさを見ると、名前的にフレッシュそうな新茶をとりあえず買って、そこそこ値が張るので次に買うのは来年の同時期…みたいな感じかもしれません。
まあ、その辺は茶に対する意識の違いはあると思いますが、「やぶきたが濃すぎて苦手だからちょうどよい濃さの新茶を買う」というのは案外あるかもしれませんね。
ちなみにウーロン茶やプーアル茶は「後熟の妙(たえ)」というものがあって、古い茶がよいとされるそうです。
著者が紹介していたのは30年以上前のものだったようですが、10年、20年、それ以上古い茶も独特の香気があってうまいそうです。
ワインみたいに、エラい高値がついたりするんでしょうか…。
まあ、なので
冷蔵保管とか真空処理、窒素ガス充填などをして新鮮さを保とうとすることも、ひょっとすると自然に背いた虚妄ではないか。
本物の茶のうまさはそんなところにはない。
とさえ書いてあります笑
新茶は高級品(と誤解されている)説
「さっき新茶は高級品じゃないって言ってたじゃん!」と言われそうですが、ある本に「新茶と書くと日本人には相場の2〜3倍の価格で売れる」と書いてありまして、「もう少し待てば半額くらいでおいしい茶が飲めるのに」という話も書いてありました。
この高級品と誤解されてる論を支持する理由としては、やはりいろいろな本(とりあえず片っ端から読んでいるだけですが)を読んでいても「新芽がうまい・最高」という記述は見当たらず、やはり「成熟していない・うまさに欠ける」と書かれているためです。
茶の歴史や育て方への解釈は本によって様々なんですが、不思議と新茶に対しての見識は一致しているのであります。
2つ目の説では
- 飲みやすいお茶を選んでいたら、自然と新茶だけを買うようになった
- 新茶以外の茶(やぶきた)は、普段たくさん飲むには適さない理由がある
かもしれないという話ですが、これはその逆で
- (高級品だと思っている)新茶がこれだけ値段の張るお茶なのにそこまで驚くような味ではないから、お茶は自分に合わない、茶の味は分からない
- だから、ペットボトルや缶の安いやつでいいやとなった
と、つまり、変に高い(というとお茶屋さんに怒られると思いますけど)上にうまみに欠けて口に合わないせいで「お茶はツウの飲むものであって…」「凡人には理解しかねる」みたいに解釈されてしまったかもというのが3つ目の説です。
100g1500円とかは決して安くはないですからね。
例えるならば、大晦日とかはスーパーの寿司が異様に高額になったりしますが、そこだけを見て「寿司ってこんなにするんだ…」と言っているようなものでしょうか。
まあ。寿司は普段から目にするので大丈夫かもしれませんが、普段あまり飲まない茶だからこそ、イメージ・値段のインパクトで判断されてしまうのかもしれません。
紅茶も「1缶1500円くらいはするよ」と話すとほぼ100%「高いね」と言われますし。
でも「カップ換算したら一杯50円しないくらいだよー」という話もすると「そう考えるとそんなに高くはないか」と言ってはくれます。
そういうふうな話をするとまた日本茶に対する見方も変わるかもしれません。
ちなみに考察なので全く違う可能性もありますが、上記3つの説は私が紅茶を買う際に感じたことの延長でありまして、一番支持したいのは2つ目の説ですね。
お〜いお茶なんかが結構売れているところを見ると、あのくらいの薄さが好かれるんですかね。
まとめ
今回は多分に考察が入った話になのでまとめるほどではないんですが
- 新茶は最高級品ではなく、あくまで旬の、特定の時期にしか味わえない茶
というのが新たな発見でしょうか。
値は張りますが、高級品というイメージを持って飲まないほうがよさげですかね。
ちなみに個人的には、新茶に限らず緑茶は健康にいいよ!とアピールすると「栄養、機能をしっかり備えつつ安い、一部の商品」しか売れなくなる気がしています。
野菜とかもそうじゃないですか。
やっぱり「違いがよく分からない…」となると「袋に生産者であろう人懐っこそうなおばあちゃんが写っているお茶」とかを買っちゃいますよねぇ。
売りたいならば、よりおいしいお茶に触れてもらう機会なんかがあればいいのかなーとも思います。
ということで、新茶が好きな人はそのまま飲んでもらってもいいと思いますが、新茶で「アレ?」と思ったことがある人は、遅めに摘んだ茶とかやぶきた以外の茶を選んでもらうといいモノに巡り逢うかもしれませんな。