old reliable tea

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ストレートティーについて考えるブログ

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紳士たちよ、コーヒーかレディか選びたまえ

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最初に飲んだイスラム圏の人が「聖水と同じ力がある」と言ったらしいコーヒーですが、紅茶に取って変わられる前は、それはそれは栄えたそうです。

 

が、なぜ茶に取って変わられたのでしょうか?

 

コーヒーのせいで家族同士の付き合いはすたれた

英国でコーヒーが隆盛したのは、おいしかったのに加えて

  • コーヒーハウスには内外の情報が集まった
  • 身分の別なくコーヒーを飲みながら自由な会話や議論ができた
  • カフェは情報が集中する拠点となり、それが新たな生活習慣を作り上げた

 

という理由があったそうです。

 

つまり、今の週刊誌じゃないですけど、あらゆるネタが集まるところだったと。

 

ちなみにコーヒーは砂糖たっぷりで飲んでいたため「おいしかった」そうです。

 

男たちは夜にコーヒーを飲みに外出し、友人と会い、情報やアイデア、冗談を交わし、また別の方法でも楽しんだ

とのことで、なんだかギャンブル漬けの人たちみたいですね笑

 

そして、そんなカフェで「自由・平等・博愛」という主張が生まれたそうです。

 

テーブルに座れば中流か?上流か?ではなく単なる「男」だったそうで、「こんなふうに、身分や出自に左右されない自由な世界があったらなぁ」みたいなのを感じていたのかもしれませんね。

 

が、一方で当時の女性たちはどう考えていたかというと

コーヒーという災いの実は、それが持って来られたあの砂漠と同じように男をおいさらばえさせ、不毛にする

そうで、アルコール業界からの反対運動、公権力による規制とともに、女性の猛烈な反対運動があったそう。

 

さらに

ナポレオンの大陸封鎖によって生じた砂糖とコーヒーの欠乏が対ナポレオン蜂起となった。

 

ドイツ人は麦、豆、ドングリ、ビールのホップから果ては海草に至るまで、大地がコーヒーを名乗りかねない勢いで代用コーヒーの開発にいそしんだ。ドイツのコーヒーといえば代用コーヒーの総称となった。

 

だがついに代用品に耐えられない精神的トラウマに陥り、近代ドイツの本物指向が形づくられた。

コーヒーが飲めるかどうかが国の運命を左右した。

ホーエンツォーレルン家を海の藻屑としたドイツ革命も「1杯のコーヒーも飲めない」ことでドイツ海軍の起こした反乱が一因である。

 

と、時には実力行使に出ることもあったそう。

 

先程も書きましたが、後で調べたらまさかの砂糖たっぷりコーヒーだったようで、「この甘く滴る雫こそ…命の源」みたいな文言を残した人もいるようで、ちょっと複雑ですね。

 

それはコーヒー好きといえるのか…。

 

ちなみに、ここでおもしろいのがドイツの本物指向という点ですね。

 

ドイツの会社は作るもの(オーブンとか洗濯機とか)を絞って質を高め、1社1商品という売り方をしている、みたいな話を聞いたことがありますが、コーヒーが欠乏したおかげなんでしょうか笑

 

紅茶は男女の区別はなく本質的に平和な性格がある

一方で

コーヒーハウスはコーヒーハウス以外の何でもないが、茶室は茶の文化・物産複合の一要素であり、待合・露地・庭・絵画・花などと一体のものである

ロンドンのコーヒーハウスはあまりにビジネスライクで、庭園の美観などには配慮が行き届いていない。それに対して18世紀にできはじめたティールームやティーガーデンは、コーヒーハウスの決して持たなかった優美な雰囲気を強調し、女性に大歓迎された。

 

そうです。

 

そして、タイトルのように「コーヒーかイングリッシュレディかの二者択一を迫られ、英国紳士は迷わず後者を選んだ」とのこと…。

 

イギリスの庭は女性に楽しみを与え、散歩道がしつらえられ、その優美な雰囲気にイギリス女性は好感を示した

 

とあります。

 

確かに女性が花壇の手入れをしている姿とか、広めの庭で銅製のベンチに座りながら家族でティータイムをするのは、平和って感じですもんね。

 

ただ、そんな平和な性格を持つ茶がアヘン戦争だったり、ボストン茶会事件に使われてしまったのは何とも悲しい話ですな。

 

紅茶は日常性の象徴である

最初に「家族との時間がすたれた」と書いたように、コーヒーは家庭や日常には入りこめなかったそうです。

 

コーヒーと同じく非日常性や虚構性を持っていたものに「日本のわび茶」があったそうで「紅茶だけに日常性がある」とあります。

 

非日常性や虚構性=家庭や普段の生活の中で楽しむものではない、という考えですね。

 

で、中国の高級陶磁器を真似たボーンチャイナ(質の低いコピー商品とも取れるような記述も…)、それに把手をつけ、ミルクや砂糖を入れる+毎日飲む、という独自の文化を築いたのがイギリスなんだそう。

 

茶を日常的に飲む唯一の国なのだ、と。

 

利休が

茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし

という歌を残していますが、まあ、人によって解釈の違いはあると思いますが、紅茶文化はその利休のいう茶を実現しているのではないか、という意見もありました。

 

現在の茶道同様に「作法が大事!」とか「それぞれの所作にも意味がある!」というのを語っている一方で、茶の日常性にも触れていたのは、やはり広く茶を楽しんでもらいたかったからなんですかね。

 

「利休が民衆に非常に支持されていたことを恐れ、秀吉が始末した説」があるくらいなので、人々の気持ちを代弁したんでしょうか。

 

私もお茶会とかマナーは結構どうでもいい人間なんで、紅茶が日常と結びついた飲み物だというのはありがたいことです。

 

ということで、簡単にまとめると「紳士たちはコーヒーに入り浸っていたが、茶とコーヒーが同時に手に入るようになると、女性と共に茶を選んだ」ということだそうです。

 

やはり流行を作るのは女性、という感じだったんでしょうかね。

 

以下、個人的においしかったコーヒーです。

 

砂糖を入れずに飲むのがおすすめです。