old reliable tea

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ストレートティーについて考えるブログ

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かわいいカップを買って何かいいことってあるの?について

 

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よさげな紅茶屋とか喫茶店の写真を見ると高そうな茶器とかカップの写真が映っていますが、深くて冷めにくいなどの機能面以外に買って何かいいことがあるのか?についてちょっと考えてみました。

 

まあ、どんなカップがいいか?は見た感じが好きとか触った感じで選ぶかとは思いますが、何かそれ以外にメリットとかないの?ということで。

 

円筒形のほうが確かに冷めにくくはあるが…

現在の紅茶のいれ方の基礎を築き上げたとされるジョージ・オーウェル氏のおいしい紅茶のいれ方「口が広く底が浅いカップでなく、円筒形(つまりマグカップみたいな形)がよい」とありましたが、正直そんなに違いはないです。

 

稀に「あれ、結構経ったのにほんのり温かいな」と思うことはありますし、マグカップは厚手なので確かにやや冷めにくいです。

 

が、保温という点で見ればティーポットにタオルを巻いたりコジーをする方がはるかに重要で、むしろ早く冷ますためにカップに移す場合さえあるので、やはりカップは機能面ではなく見た目で選ぶものでしょうね。

 

ティーバッグ1〜2個だけ茶をいれる場合(そういう人はそもそもティーカップを買わないかもしれませんが)、お湯を作るのにカップごとレンジにかけるのももったいないですし、マグカップよりさらに冷めやすいしで、尚更デザイン以外にティーカップの利点はないでしょう…。

 

なので、パッと見素敵だなーというフィーリングで選べばよい、というのが結論です。

 

が、それで終わるのもなんだか忍びないので、メンタル的な話を少し。

 

歯を磨かない人=動物や友人を大切にするいい人?

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えー、みなさんは「美しいものは好き」ですか?

 

ティーカップのみならず、白鳥だったり花畑 だったり、絵だったり猫だったり何でもいいですが、きれいなものとか美しいものは好きですか。

 

好きですよね。

 

私も好きです。

 

で、そのきれいなものや美しいものが好きな人って、めっちゃいい奴だと思いませんか?

 

優しいというかすごく穏やかなイメージを抱くと思うんですが、そんな人が、例えば歯を磨かないみたいなイメージって…湧きますか?

 

当然いい人=絶対に歯を磨くというわけではないですが、基本的に「歯を磨かない人はどんな人ですか?」と聞かれたら無神経とか自己中心的な人という感じですよね。

 

これは心理学でいうとピグマリオン効果とかレッテル効果というそうなんですが、「レッテルを貼ったり期待をしたりすると、そういう行動をとりやすく・あるいはとりにくくなる」そうなんですよ。

 

例えば、過去に私も「どうせ出かけないんだし、歯なんか磨かなくてもいいだろう。口が臭いと言ってくる人もいないし、お客さんにも会わないし。今日くらい…」と思っていた時期がありましたが、そこでぬいぐるみとかプラモデル、人形など思い入れがあるものに話しかけます。

 

「今日もいい天気だな。しかしまだ夏でもないのに最高気温が25℃を超えるそうだ。めまぐるしいねぇ。」とか「いやぁ、いつ見ても美しい。毛並みといい瞳の深さといい、まさに美猫だ。きみが本物の猫だったらいいのに」とか。

 

本当に何でもいいです。

 

そうすると、話しかけるたびに何とも言えない自分の口臭が漂ってきて「ぬいぐるみや物を大切にする自分(善良な奴)」だったのに、「自分の口臭には無頓着で、かわいいぬいぐるみや猫にクサい息をかけても平気な輩(ダメな奴)」みたいな認知的不協和が起こります。

 

ぬいぐるみに関わらず、好きな人と会う・話すのに口が臭い人って(もちろんそういう人もいると思いますけど)いい人ではない可能性が高いじゃないですか。

 

そこでモヤモヤした結果、認知的不協和を解消するために人と会わずとも歯を磨くのが習慣化し、末永く虫歯にはならない生活を手に入れることができる、と。

 

つまり「特定のカテゴリの人がする行動を取ることによって自分の行動が変わるため、結果的に幸せになれる」可能性があるということですね。

 

「自己管理のできる優秀な販売員(というレッテルを自分に貼る)」は、「休日で家にいても、誰にも指摘されずとも歯磨きはするだろう」みたいなのでもいいかもしれませんね。

 

私の好きな紅茶で考えるならば、ジェントルマンの話なんかを例にとってみましょう。

 

イギリスの支配階級だったジェントルマンは生まれながらに代々貴族だった者は少なく、ほとんどが成金のような平民上がりで見栄を張ることに命をかけていたそうです。

 

そこで

  • 善良な自分を「食事に気を使い、素敵なカップを使って茶を味わう知性的なジェントルマン(女性でも)」
  • ダメな自分を「見栄を張るから高いカップや茶器を使うけど、歯も磨かないし片付けもろくにしない。カップに汚れがついていても平気な愚者」

 

とすると、「片付けをしない自分は見栄っ張りの成金と同レベルかも…?」「知性的な人はこんなことはしないだろう…」とだんだんモヤモヤしてきて、誰にも言われずとも片付けをするようになると。

 

「知性的な自分」と「見栄を張るだけの中身のない自分」とが競合するわけですね。

 

もしくは

  • 善良な自分を「真のジェントルマンは食べすぎない。生まれつきそれが普通だったから」
  • ダメな自分を「平民上がりのジェントルマンは見栄を張るために常に食べきれないほどの量を用意するし、太っているのも富の象徴だと考える」

 

とすれば、なんだかジャンクフードとか高脂質・高炭水化物を避けたくなる、腹八分でセーブするようになった結果痩せる…みたいな感じですね。

 

こういうことがいい茶器やティーカップでも起こるのではないか?と。

 

紅茶やティーカップは繊細さや思慮深さ、平和といった一般論がありますかりね。

 

まあ、もちろん人によって感じ方も違うと思います。

 

「所詮ぬいぐるみでしょ?ただの布と綿じゃん」とか、「昔の成金と同じだからどうしたわけ?」みたいな人もいるでしょう。

 

なので、美しいものが好きならティーカップを買うのが当然!というのではなく、そういうふうに何かアイデンティティが形成されることもあるかもよ?程度の認識がよいかと。

 

まあ、「ぬいぐるみなんて形だけだろ」「カップなんかどれも同じじゃん」とか言う人でも「俺にとっては、いつでも遊び相手になってくれたこのグローブとバットは頼りになる兄貴みたいなもんだ!汚いとか言うな!!」なんて熱く語り出すこともあるので、気付かないだけで意外とみんなやってるようですけど笑

 

ちなみにレッテル効果はいじめや差別の原因にもなり得るくらい強力な効果があるので、自問自答やポジティブな目的以外には使うべきでないとのことです。

 

なぜかといいますと、かなり強めの一般論なのでパッと聞いた感じだと非常にもっともらしく聞こえるからだそうです。

 

「もっともらしく聞こえる」ことにより、1対1ならまだしも1対多数になると周囲は分かりやすいほうになびいてしまい、「返答が早い」とか「自信満々に語る」ほうが正しいと感じるそうです。

 

結果、独裁者と何ら変わらないことを言ってるのに素晴らしいことを言っているように聞こえると。

 

いわゆる「ハード(話者)がメディア(内容)を凌駕する」というやつですね。

 

そして、否定するために自分の頭を使って考えなければならず苦しい(時間がかかり、決まった答えもない)ため、相手を追い詰めたり本当の犯罪者にしたりしてしまう可能性があるそうです。

 

いじめは当事者間だけの問題ではないということですね…。

 

私も経験がありますが、「母親と仲がいい」なんて言うと「マザコンかよ」とか「社会人にもなって甘えるな」とか言われますが(私が住んでいるのが地方だから?)、冷静に考えてみれば20年近く無償で自分を育ててくれた人に対して敬意を示せない奴こそ恩知らずもいいところじゃないですか。

 

親と友好的になるのは犬や猫同様、生物としても健全なわけですし。

 

これも「一人暮らしをしてこそ自立した大人になれる」みたいな一般論のせいかもしれませんが、別に両親と住んでても料理や掃除を全部自分でやれば家賃のかからない一人暮らしみたいな生活もできるわけですからね。

 

あと、引きこもりなんかもそうじゃないですか。

 

「引きこもりは社会のお荷物」みたいに言う人もいますけど、アメリカの引きこもりが作った iPhoneやパソコンを今や世界中の人が使ってるわけですからねぇ。

 

ティーカップのおかげで棚やキッチンの片付けが捗ったりとか

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さて、私はどんなふうに変わったかといいますと、この前2500円のティーカップを買いましたが、何だかあまり整頓されていない棚にそのティーカップをしまうのはモヤモヤしたので、思い切って1年以上使ってない物は捨てました。

 

「美しいティーカップは好きなのに、雑然とした棚が気にならないというのはおかしい。棚も美しいほうが整合性があってよかろう」と。

 

「整合性がある人間なら、当然片付けるよね?」みたいな感じですね。

 

あとは、料理とかの片付けは結構後回しにしちゃうことがあるんですけど、ティーカップだけは茶渋がつくのが嫌なんで飲み終わったらすぐに洗いに行くようにしています。

 

これは「くもりのない美しいティーカップが好きだから買ったというのに、茶渋で美しさが損なわれるのは気にならないというのか。職場のお局と同等の美意識の低さではないか。そんなのはまっぴらであろう」と。

 

で、カップを洗った後「せっかくスポンジと洗剤を手に取ったというのに、この目の前のフライパンや皿を後回しにするのか。ついでに洗うのが合理的でよかろう」みたいになって、結局片付けも一緒にやっちゃうと。

 

そんな感じです。

 

ちなみにこれらはパッとそう思うのではなく、このモヤモヤは何が原因だろう?と何分か考えて気付くイメージですので、気長にやるのがオススメです。

 

まとめ

 

  • レンジでお湯を作る人やティーバッグをメインで使う人はマグカップでも十分
  • ワイングラスのように味を変える効果等はティーカップにはあまりない(みんな似たような形ですからね)
  • 自分にレッテルを貼っていい習慣を量産するために、もしかしたらティーカップみたいな美しい食器が使えるかも

 

という感じでした。

 

まあ、いきなりティーカップほど高い物を買わなくてもいいですけど、きれいな女性の肖像画や紳士の写真なんかを部屋に置いておき、「この人がいま目の前にいたら、自分はこんな太った姿・片付いてない部屋で恥ずかしくならないくらい無神経な人間か?」みたいに試してみるのもいいかもしれませんね。

 

なにか言われたら傷つくくらいのイケメンとか美人がオススメです(なので、モナリザとかゴッホは微妙かも)。

 

あんまりガチガチにやると苦しいので、程々に。

 

ちなみにティーカップですと、わたくしは最近ウェッジウッド、ワンダーラストピオニーかクリムゾンが気になってます。

www.wedgwood.jp

 

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