old reliable tea

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ストレートティーについて考えるブログ

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小話:ふつうの人には上等すぎる茶/リプトンのライトノベルのような逸話など

 

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紅茶文化にとっての庭

ティー・ガーデンというように紅茶や社交と結び付けられる庭ですが、なぜ過去のイギリス人はこれほどに庭を愛したのでしょうか?

 

庭が文化として確立された理由として、産業革命時代に飲酒、ギャンブルが娯楽の中心でしたが、借金をして夜逃げをしたり、生活が乱れて労働力が落ちると困るため、理性にかなった娯楽を推奨したからだそうです。

 

「理性にかなった娯楽」は園芸のほかにブラスバンドや旅行が挙げられています。

 

特に16〜19世紀のイギリスは何よりもステイタス命!だったので、上記の娯楽をしていない=下層民だと思われる、ということも気にしていたそう。

 

ただ、聖書を読むこともよいとされたそうなんですが、労働者が自分たちの立場について考えを巡らし、団結して労働争議を起こしかねないためあまりよく思われないこともあったとのことです。

 

上の人間は自分たちのやっていることが褒められたことではないと分かっていたわけですな。

 

園芸に話を戻しますと、とくにイギリスは植物の種類が少なかった(当時の日本の半分以下だった)ため、国外の珍しい植物に大いに興味を示し、園芸が好きになったそう。

 

とくに野菜は壊滅的で、16〜18世紀に野菜といえばグリーンピースと食えたもんじゃない肉質の堅いキャベツくらいだったという記述もありました。

 

そして男たちは女人禁制のコーヒーハウスに入り浸っていましたが、茶が興隆したことによりコーヒーハウスはすたれ、いろいろな人や性の区別なく楽しめる公的空間を初めて実現したのがティー・ガーデン(プレジャー・ガーデン、社交庭園とも)だったそうです。

 

(茶は男女の区別はないけど)庭も茶も、「女性に好まれた」「平和や調和」という共通項があったわけですね。

 

ふつうの人には上等すぎる茶

紅茶の等級でF.O.PとかB.O.Pなどがありますが、「F.T.G.F.O.P」なる最高等級の商品があります。

 

実はこれ、「ファー・トゥー・グッド・フォー・オーディナリー・ピープル」という意味で、ふつうの人には上等すぎる茶だ!(お前ら一般人にはもったいない)という意味だそうです。

 

私みたいな庶民が飲んでいてすいません。

 

というのはウソで、茶の等級が知れ渡った際に生まれたジョークだそうです。

 

しかしこんなことを思いつくなんて、本当は心のどこかでそう思っているのではあるまいか?と勘繰ってしまいますね。

 

ちなみに、さらに上級の「S.F.T.G.F.O.P(スーパー・ファイン・ティッピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコー)」は、インドのダージリンが代表だそうで、ダージリンが紅茶のシャンパンと言われるのは、シャンパン=最高級のたとえだから。

 

決してシャンパンみたいな味や香りの豊かさはないのであしからず。

 

また、オレンジ・ペコーの「オレンジ」は、最初にヨーロッパに茶をもたらしたオランダ王室「オラニエ・ナッサウ家」に敬意を表して付けられたそうです。

 

このオラニエの綴りがオレンジと同じなんですよ。

 

ペコーは中国語の「パイ・ハオ(白い産毛がびっしり生えた茶の芽)」の西欧訛りだそうです。

 

リプトンのライトノベルのような逸話

皆さんご存知、私も大好きなリプトンでございますが、最近のマンガやライトノベルにありがちな「みんなから下に見られていた俺が実は最強だった」みたいな活躍をしておりました。

 

リプトンは1890年にセイロンで10箇所くらい農園を経営しており、安くておいしい紅茶を飲んでほしかったために「茶園からティーポットへ」というスローガンを掲げ、仲買人を通さない等で大幅にコストカットをしたそう。

 

が、あまりに安かったため老舗紅茶店や業界からは異端とされ「リプトン社の紅茶はまずいから安い」と言われていたそうです。

 

これは現代でも同じように見られているかも。

 

翌年1891年のロンドンで行われたティーオークションで史上最高額で落札された茶は、ダンパテン農園というところの茶でした。

 

何を隠そう、そのダンバテン農園こそがリプトン社の茶園だったそうな。

 

刷版するとしたら「まずいから安いと評判の俺の茶葉がオークション史上最高額で落札されたんだが」みたいなタイトルになりそう。

 

その後業界からも一般からも一目置かれ、リプトンは茶農家の設備や労働環境改善にも尽力して、それを他社が模範にするみたいな構図に。

 

また、トーマス・リプトン氏の口癖は「宣伝のチャンスは決して逃すな。ただし、その商品の品質が優れていることが条件である」で、店も他人任せにせず自分で切り盛りしていたとのことです。

 

いい人だったんでしょうね。

 

リプトンのアッサムやディンブラはミルクティー用なのかかなり渋く出るようになっているので、純粋な茶のうまみを味わいたいならイエローラベルがオススメです。

 

チップという行為

日本では一般化していないチップを払うという行動ですが、実はその制度はトワイニングが最初に導入したそうです。

 

その時はまだトワイニングはコーヒーハウスで、茶は売っていなかったそうですが、凄まじい行列に対応するために「追加でお金を払った人が他の客を差し置いて注文できる権利」としてスタートしました(現地に行くと当時の木箱が見れるらしい)。

 

言葉にするとo nsure romptness(速いサービスを保証する)」で、その頭文字を取ってT.I.Pと呼ばれました。

 

現在は「チップはいいサービスに対する謝礼」という感じですが、昔は「チップ払うからいいサービス(速く)してくれよ?」という感じだったんですね。

 

ちなみに「混雑がヒドいコーヒーハウス内でのいいサービス=速さ」であって、「あらゆるものより優れたサービス=速さ」ってわけではないのもポイント。

 

ふつうにイギリスでもフランスでも一番好かれる接客は今も昔も「丁寧さ」だそうです。

 

よく接客業で「待たせないことが最高のサービス!お客さまを待たせるな!」みたいな話がありますが、チップの生い立ちを考えると、なんでも安く済ませようとする現代では高望みかもしれませんなぁ。

 

1ペニーの大学

17世紀のコーヒーハウスはあらゆる情報が集まったという話ですが、なんでも新聞や広告、パンフレット、ゴシップ、印刷される前の最新ニュースなどおよそ考えうる限りの話題を知ることができたそう。

 

そこから1ペニーの大学と呼ばれていたそうです。

 

「1ペニーで温かいものだけでなく教育まで享受できた」とあるので、本当に階級とか身分の差なく話ができたんでしょうね。

 

ちなみに、あまりにコーヒーハウスに入り浸ったため、住所を書く際に行きつけのコーヒーハウスの住所を書く者もいたそう。

 

そりゃ女性も怒りますわ。

 

何かの目的で紳士に会いたければ、その紳士が「どこに住んでいるか?どこの人なのか?」ではなく、「どこのコーヒーハウスに入り浸っているか?」を知るのがよいというのが普通だったそうです。

 

なんか「現代の居酒屋っぽいな」と思うかもしれませんが、まさにその通りで、茶が流行るとコーヒーハウスは寂れ、居酒屋のように一部の固定客が集まる(排他的な)溜まり場になりました。

 

店主や常連が失礼な絡みをしてくる田舎の居酒屋みたいなイメージでしょうか…(私も経験があります)。

 

というと言い方が悪いかもしれませんが、コーヒーハウス閉店ラッシュで、その落ちぶれっぷりは半端じゃなかったそうです。

 

ということでした。