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ストレートティーについて考えるブログ

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明日からできる、食料廃棄を減らす方法

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こんにちは、tanabuです。

 

食料廃棄やそれに付随する問題において、主題に上がるのは「漁業・畜産業・林業」です。

 

例えば、「牛(胃が4つあるせい)を飼うとゲップやフンのせいで、車1台アイドリングさせ続けるよりも大気汚染に繋がる」とか、「日本の漁業は早い者勝ちの「先獲り型」なので、魚が取り尽くされてしまう」などがありますね。

 

穀物を捨てると生産地にお金が入らず、生産者も元手がないため収穫量が減り、世界的に穀物の価格が上がるので、餌になる穀物を捨てるほど牛肉の値段が上昇する」と言う人もいます。

 

この手の何かしらの問題は、あなたも聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

上記も含め、この記事の最終的な結論を先に言ってしまえば「消費者が変われば、業界はかなり良くなる」ということになります。

 

大掛かりな変化でなく、本当に簡単なことを変えるだけです。

 

ノルウェーの漁業

ノルウェーの「個別漁獲枠を定めた漁業モデル」が素晴らしく、日本も見習うべきだという話がありました。

 

wedge.ismedia.jp

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資源爆食漁業国ノルウエーは日本漁業のモデルにならない(前編) | 本音で語る資源管理

資源爆食漁業国ノルウエーは日本漁業のモデルにならない(後編) | 本音で語る資源管理

 

自分は専門家ではないので、これに関しては詳しいことは言えません。

 

実際、漁獲枠を最大限使うために、混獲(意図しない漁獲)した魚は海に放るが、その魚は弱い幼魚でほぼ100%死亡するので捨ててるのと同じと言う人もいます。

 

まあ、タラと一緒に網にかかったサバの幼魚なんかは、三色うどんのピンク色の麺だけを取り出すことのように、手間のかかる作業というイメージは容易につくと思います。

 

結局どっちがいいかは分かりませんし、「ノルウェーの制度を導入した!」と言っても、魚の値段が今の倍くらいになってしまったらトータルでどうなんだ、という話にもなりますね。

 

何のためにやっているのか

魚だったら 「船の維持費とか燃料代、生活費のため」もあると思いますが、多くの人は消費者に売るために獲っていますよね。

 

漁師の家族が食べていくぶんだけでいいならば、1日10匹くらいあれば足りますし。

 

実際、「規格に満たないと企業が買ってくれない」という話はよく聞きますが、そもそも我々消費者が買わないせいなのでは?とも思うわけです。

 

自分もじゃがいもを道の駅で売ったことはありますが、やはり大きいのはほぼ売れず、同じ値段で全体量が70%程度だとしても、スーパーと同じような大きさのものしか売れませんでした。

 

大きいほうが明らかにお得だとは思うのですが、大きくなったいもに差(す)が入るので、それを嫌うお客さんが多いようでした。

 

しかし、「多少問題があるじゃがいもでも買いますよ」とか「皮が(カビや病気でなく)少し黒いオレンジでもいいですよ」と消費者が思えば、これらを売ることが出来そうじゃないですか?

 

差が入っていても、取らなければならない部分は少しですし、そこまで味が変わるかというと、そうでもありません。

 

結局消費者に売るために企業は仕入れるわけですし、「鑑賞用のカツオのたたき」とか「家の前にイワシを置いておかないと不幸になる」とか、食べる以外の用途はまずないですよね(笑)

 

「たくさん仕入れた、棚の見た目のいいスーパーには補助金や手当てが出る。だからたくさん置くねん。客の売り上げなんか微々たるもんやがな。」なんてこともないですよね。

 

「訳の分からない、名もない所から仕入れることで企業のイメージを損なう」とかはあるそうなので、一概には言えませんが。

 

まあでも、真っ白なレンコンと色の悪いレンコンが並んでいたら綺麗な方を買ってしまいたくはなりますよね。

 

ただ、おつとめ品でもない限り、色が悪いことはあまり品質に影響はないということを感じてほしいですね。

 

何が必要か

どんな政策や案にも欠点はあります。

 

理想的だと言われている漁獲枠制度も「割当高を最大限使い切るために混獲した幼魚を海に放ちます。

その放った魚はほぼ死亡し、2年後3年後大きくなる魚がどんどん減少するし、海の資源を適正利用する政策なのに結果として幼魚を殺しているため、持続不可能な漁業だ」と言っているEUの学者もいます。

 

実際、言葉通りに漁獲枠制度が実施されれば、少しはよくなる面もあるのかなとも思いますが。

 

現地に行って詳細なデータを取るのも不可能ですし、日本国内ですら何が正しいのか統制の取れない状況ですから、本当のところは分かりません。

 

そこで何が必要かというと、制度を作ったり変えたりするのではなく、「お客さんに変化してもらい、その理解のあるお客さんを相手にするお店」を作ることが必要だと私は思っています。

 

必要な量を聞いて、獲った魚全てを売れば、乱獲も減りそうじゃないですか?

 

これ以上持ってこられてもウチのお客さんは買いませんよ、と一言を付け加えて。

 

それに、「いい魚じゃないと買わない」と言えば、未成熟の魚や旬でない魚を大量に売りつけられることも減り、獲りすぎ防止にもなるのではないかとも思いますね。

 

結局買うのは我々消費者ですし、自分の周りでも「多少高くても、美味しい物が食べたい」という人はいますから。

 

それに、お互いに意見交換できる関係を作っておけば何が必要かすぐ分かりますし、1日に1個売れるかどうか分からない物を仕入れて悶々とすることも減るわけです。

 

売れない物を仕入れる必要も無くなるので食料廃棄削減にも繋がりますし、他と同じ商品ばかり扱う必要はないので、価格競争に巻き込まれる可能性も減ります。

 

まあ、お店がいろいろな心理戦略を練ったところで、それに釣られて買う人は絶対基準のない人ですし、美味しい物が食べたい人は、ピンポイントで買うことが多いと思いますね。

 

「カレーなら何でもいい」というより「たいめいけんのカレーか、アレに近いものはないかな?」という感じですね。

 

 我々に圧倒的に欠けているもの

我々に圧倒的に欠けているものは、「もったいないと思うこと」や「海外のように素晴らしい政策を日本も導入すべき」という考えではなく、「これくらいあれば十分だ」という視点です。

 

「このくらい買うといつも余らせるから、少な目に買おう」と考えるだけでなく、買った後に「判断は正しかったか?」まで考えてから次の買い物に行こう、などですね。

 

ちなみに、食品を捨てても大して気にならない理由は「痛くも痒くもない出費だから」です。

 

例えば、人がついつい買ってしまう心理は、必要「かもしれない」から、無い「よりはあったほうがいい」からです。

 

必要だから、無いから買うわけではないんです。

 

でも、「無いよりはあったほうがいいので、スマホや車も1人2台,3台持ちましょう♪」と言われても誰も買いませんよね。

 

それは「食品が安いから」です。

 

スマホや車は高いので「自分に必要か?本当に無いとダメなのか?」を真剣に考えますが、マイタケや豆腐なんか98円ですよ。

 

そりゃ当たり前のように生活に困っていない人に、100円の重みを理解してもらえるはずもないですよ。

 

なので、それを理解していない人たちに、いくら素晴らしい政策を授けたところで、結局痛くも痒くもないので無意味なわけです。

 

実際、痛みや苦しみを自分に置き換えて理解できるなら、いじめや誹謗中傷をする人がどんどん減ってもいいはずですが、実害がなければその痛みを想像することすらできないので、いくら「共感した!」と口で言っても行動すらしません。

 

そこで大事なのが、「これくらいあれば十分だ」という視点です。

 

「これくらいあれば十分だ」という考えがあれば、スマホだろうがマイタケだろうが、必要かどうかでしか判断しません。

 

「安いから別に捨ててもいっか、また買えばいいし」とはならないわけです。

 

また、海外の色々な食料廃棄の専門家やゴミ研究家もこの「これくらいあれば十分だ」というのを念頭に活動しています。

 

例えば彼らは、食料廃棄場に行って「みんな困った経験があり、同じような人がおそらくこの周りにいる」と言って、20個ある食品のうち、3個程度しか持っていかないそうです。

 

たくさんはいらないから。

 

そこには「誰も見てないし、もらえるだけもらっとこう」とか、「こんなにいい事してる俺ってスゲー、カッコいい」という考えなんかは全くありません。

 

ただ、だからといって「EUやアメリカなどの海外の多くの人が食料廃棄に理解がある」かと言えばそうではなく、彼らは一般人とかなりズレたところにいるわけです。

 

やっぱり何かをやるなら、人と同じコトをしていてはダメなんですよ。

 

実際、「これくらいあれば十分だ」と思うだけで食料廃棄や食品ロスは減らせるはずです。

 

先述のような変化してくれたお客さんに恵方巻きはどのくらい必要ですか?」とか「この商品を半年以内にリピートする予定はありますか?」とか聞ければ、できそうじゃないですか?

 

「無いよりはあったほうがいい」という考えではなくなるので、「いらない物はいらない」とはっきり言えますし、お客さんから「これくらい必要だ」と事前に意見をもらえれば、それ以上仕入れる必要もないわけですから。

 

しかし残念ながら、完璧な政策は存在しません。

 

この制度(お店)の欠点は、「消費者である我々が痛みを伴いながら食品と向き合わなければならないこと」です。

 

それには、ある程度お金を使わなければなりません。

 

「ちょっとお金を使いすぎたかもしれない」というくらいでなければ、人は「それが必要だったのかどうか」を考えませんから。

 

何の働きかけもなく勝手に変化できるような才能を持っている人は、かなり少ないですからね。

 

でも、大掛かりな都市改革も必要ないですし、そのために国の制度を変える必要も、海外に勉強しに行く必要もありません。

 

変えるのは意識だけです。

 

もし興味が湧いたなら、明日から少しずつでもやってみませんか?

  

そんなに難しいことではないはずですよ。